構成派研究
2006 / 11 / 05 ( Sun )
![]() | 構成派研究、現在の芸術と未来の芸術 村山 知義 (2002/10) 本の泉社 この商品の詳細を見る |
構成派の誕生
シュプレマティズム(スプレマティズム)によって、絵画は終局点に達し、死んだ。従来の意味における芸術はあらゆる点で行き詰まり、ブルジョア芸術はおしまいになってしまった。プロレタリア美術の独壇場となる順序となった。そして構成派が誕生した。
構成派の内容
個人主義的芸術は資本主義の産物であり、その中においてのみ生存理由がある。共産主義社会の芸術は、まず第一に社会性を持っていなければならない。
構成主義は機械を熱愛する。ブルジョア芸術の機械賛美は非実用的であるのに対し、構成派のそれは産業主義と結びついて、実用的効用のある機械の構成へと志した。
構図(コンポジション)は、過去によってインスパイアされ、過去を顧み、過去に属しているのに対し、構成(コンストラクション)は、現代の最も特性的なもの(工業、機械、科学)によってインスパイアされている。構成は美しさを嘲り、力、明瞭、単純、勇ましき生活への刺激としての行動を求める。
ロシア・アヴァンギャルド
2006 / 09 / 16 ( Sat )
![]() | ロシア・アヴァンギャルド 亀山 郁夫 (1996/06) 岩波書店 この商品の詳細を見る |
ロシア・アヴァンギャルドとは、20世紀初頭のモスクワを中心に起こった未来主義、スプレマティズム、構成主義などの芸術運動の総称。
テクノロジーと物理学の分野でほぼ同時に進行しつつあった巨大な認識革命は、同時代の芸術意識にも大きな転換をもたらし、モスクワとパリの2つ中心を持つアバンギャルド芸術を生んだ。「芸術に死を!」のスローガンのもとで、芸術のあらゆる約束事が標的となった。アヴァンギャルドによって、芸術は貴族やブルジョアジーの目や耳を楽しませるつかの間のセレモニーではなくなった。人類の営みにはじめて模倣という行為が現れて以来、芸術はもっとも意識的かつ批評的なものとなった。
1917年ロシア革命。
戦時共産主義―革命とアバンギャルド芸術との短い蜜月時代。革命のメッセージを大衆に伝えるという政治の要請に、ロシア・アバンギャルドは応え最大限の影響力を行使した。ネップ(新経済政策)期―大衆扇動の熱狂は一気に冷やされ、市場システム特有の競争原理が働きだしたことで、ロシア・アバンギャルドは、いやおうなく大衆迎合的を迫られた。それは、社会の底にくすぶる「古い」要素をどんどん復活させる事を意味していた。
農業集団化、第一次五カ年計画―左派芸術家は、スターリンによるネップ廃止と第一次五カ年計画を支持し、そのプロパガンダに向けて貢献する事を志した。その後、「芸術労働者」を一つの統一組織に糾合するため、1932年4月23日党中央委員会決議「文学・芸術団体の改組について」によってすべての芸術団体の解散が命じられる。
空想から科学へ
2006 / 09 / 02 ( Sat )
![]() | 空想から科学へ エンゲルス (1999/02) 新日本出版社 この商品の詳細を見る |
中世の社会では、個人の生産者による生産物は、その個人のものであった。生産物にたいする所有は、自分の労働にもとづいていた。
そこへ、大きな作業所や工場における生産手段の集積がおこり、実際に社会的な生産手段への生産手段の転化がおこった。しかし、社会的な生産手段と生産物は、これまでどおり個人の生産手段と生産物であるかのように扱われた。この社会的生産と資本主義的取得との矛盾の中に現代のすべての衝突が萌芽として含まれている。
繰り返される恐慌、貧富の格差の拡大、失業者の増加、ブルジョアジーは、現代の強大な生産力を管理する能力を持たない。
この解決はただ、現代の生産力の社会的性質を承認し、したがって生産様式、取得様式、交換様式を生産手段の社会的性格と調和させることのうちにしかありえない。プロレタリアートは国家権力を掌握し、生産手段をまず国有に転化する。しかしそれによってプロレタリアートは、プロレタリアートとしての自分自身を廃棄し、それによってプロレタリアートは階級差別と階級対立を廃棄する。人にたいする統治にかわって物の管理と生産過程の指導があらわれる。被搾取階級を抑圧しておくための組織としての国家は、徐々に死滅する。
複製技術時代の芸術
2006 / 08 / 26 ( Sat )
![]() | 複製技術時代の芸術 ヴァルター ベンヤミン (1999/11) 晶文社 この商品の詳細を見る |
石版、写真などの複製技術は、それもオリジナルに対して高度の独立性を持つ複製を大量にすばやく市場に送り出すことを可能にした。こうした量的な変化は、芸術作品の受容の質的変化を生み出した。
「いま」「ここに」しかないという「ほんもの」の芸術が有していたアウラは消滅し、芸術の礼拝的価値が失われた。また展示の可能性が高まることによって、芸術はこれまでとは異なった様々な機能を持つようになった。
また、映画は絵画や演劇とは比較にならないほど正確な状況描写力を持っており、はるかに大きな分析可能性をつくりだして人間に知覚の深化をもたらした。
映画は、礼拝的価値をよせつけず、いかなる精神の集中も必要としない。観客は、散漫な試験官の態度となる。過去の芸術たは違い、映画は多くの大衆を一度に動員することができる。
僕がこの本にあるベンヤミンによる文書の中でもっともおもしろいと思うのは、テクノロジーの発達によって人間の知覚が深化するという部分です。人間の知覚は、自然による制約の他に、社会的・歴史的な制約を受ける。複製技術による芸術作品は、礼拝的な価値を退け、正確な状況描写が可能になる事で、大衆は物事をより科学的に捉える事ができるようになる。
マルクス・レーニン主義の文化論
2006 / 08 / 18 ( Fri )
蔵原 惟人 (1966/03)
新日本出版社
文化の発生
人類の文化は、労働の生産力に余剰が生まれたとき、模倣のための模倣、単なる遊戯として始まったのではなく、人間が厳しい自然の中で生活するためのたたかいの中からうまれてきた。労働に対する共通の知識を得、さらに認識を深めるためのものであった。芸術・科学・宗教などが未分化の状態で、生産的労働を軸に統一されていた。「芸術をふくむ人類の文化は、人間に先天的にそなわったなんらかの本能によって自然に生まれたのではなくて、マルクスやエンゲルスがいっているように、人間の社会的な生産労働―人間が自然を支配しようとするたたかいの中で、徐々につくりだされたものであるということがいえると思います。」
階級社会と文化
「原始共同体社会では文化はすべての人びとによってつくられ、すべての人びとがそれを利用し、それを享受することができたのですが、階級社会では文化の成果の大部分が特定の階級に独占されるだけでく、文化そのものが階級的性格をもち、それが人民を支配する道具に利用されるようになります。」
「すべての文化は、それが支配階級のための文化であっても、つねに人民大衆の労働の上に築かれるものです。したがって私たちは、それらの文化をただ機械的に批判するのではなくて、それを批判にかけ、そのすぐれた遺産はこれを正しく受けつぎ発展させてゆかなければなりません。そうすることによって人類の文化は前進していくのです。」
経済的土台と上部構造
ある社会ある時代の哲学、芸術、宗教といった社会的な思想や文化は、国家、政治、法律などの機関や制度や組織と同様に上部構造であり、究極的には経済的土台の歴史的な変化によって規定される。しかし、同時にその政治や文化はたがいに影響をおよぼしあうだけでなく、それはまた反対に経済的土台に反作用をおよぼし、経済の発展をたすけたり、おくらせたりする。経済状態のみが能動的で、他のものは受動的でしかないという事ではなく、究極においてつねに自己を貫徹する経済的必然性の基礎の上での交互作用である。






